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【Clair Obscur Expedition 33】黒いライオンの名前は”Bernast”(ベルナスト)

ゲーム「Clair Obscur: Expedition 33」(クレールオブスキュール:エクスペディション33)(なんとか33)のストーリー考察です。

目次

闇のクリーチャーの名前はBernast(ベルナスト)

ACT2の鏡のルノワール戦では黒い獣(正式名称:闇のクリーチャー)が突如登場します。

黒い獣 黒いライオン 闇のクリーチャー ルノワール クレールオブスキュール:エクスペディション33 なんとか33
黒い獣 黒いライオン 闇のクリーチャー ルノワール クレールオブスキュール:エクスペディション33 なんとか33

この黒い獣は、公式情報(Artstation)では「Bernast」という正式名称があり、解析情報でも「Bernastという名称であることが明らかになっています。

日本語的には「ベルナスト」と読むことができるようです。

黒い獣 黒いライオン 闇のクリーチャー ルノワール クレールオブスキュール:エクスペディション33 なんとか33
ファイル名はmonolith-bernast-bg.jpg(画像はアートステーションから引用)
黒い獣 黒いライオン 闇のクリーチャー ルノワール クレールオブスキュール:エクスペディション33 なんとか33
解析情報では「めちゃでかいライオン」と説明されている。(画像はhttps://i.imgur.com/pRPHR1K.pngより引用。)

また、屋敷にはなにげに黒いライオンの彫像が置いてあったり、デサンドル家の象徴は黒いライオンなのかもしれません。

Bernastの意味は?

作中のネヴロンには全て意味のある名前が付けられていています。

例えばランセリエはそのまま「槍兵」(仏)という意味です。

しかし、Bernastに関しては由来がはっきりしません。

フランスの画家「Anatole-Odilon Bernast」(仏wiki)が最も近そうな由来でした。

Anatole Odilon Bernastは何をした人か

日本語版のページがないので、以下、wikipediaより翻訳したものを掲載します。

概要
Anatole-Odilon Bernast(アナトール=オディロン・ベルナスト)は、フランスの画家・リトグラフ作家であり、アカデミック絵画の代表的な画家です。
彼は1871年6月24日にフランス北部のアズブルック(Hazebrouck)で生まれ、1904年6月28日にチュニジアのチュニス(Tunis)で33歳の若さで亡くなりました。

略歴
彼の父親である ギュスターヴ=ジョゼフ=セザール・ベルナスト(Gustave-Joseph-César Bernast)はアズブルック出身で、商人、実業家、布の製造業者、そしてアズブルック市の助役を務めていました。
母 マリー=レオニー=ルイーズ・ヴェルジュ(Marie-Léonie-Louise Velge)もアズブルック出身で、彼女との間に生まれた9人きょうだいの末子がアナトール=オディロン=フェルディナン(Anatole-Odilon-Ferdinand)です。

彼はまた、イギリス王室お抱えの画家であったニコラ・リュッセン(Nicolas Ruyssen)の大甥にあたります。

芸術教育
幼くして孤児となった彼は、1891年に兄の一人を頼ってルーベ(Roubaix)に移り住み、アール通り52番地に暮らしました。

彼は、リール美術学校の絵画・素描科の責任者であるファラオン・ド・ウィンター(Pharaon de Winter)に師事しました(1887年より在任)。
彼は、彫刻・版画・絵画の各部門において、リール美術アカデミーで数々の一等賞を獲得しています。

アカデミックな画家としての実績
彼は1890年にパリで開催されたフランス芸術家サロンに出展し、テオドール・リボによる《聖ヴァンサン》を題材にした作品で、版画・リトグラフ部門にて「名誉賞」を受賞しました。

1897年には、老女の肖像画で3等メダルを獲得し、さらに1900年のパリ万国博覧会では「P夫人の肖像画」により銅メダルを受賞しています。

死去
1904年、彼はチュニスにて33歳で亡くなりました

フランス語版のwikipediaより翻訳・引用

要点を整理するとこんな感じです。

  • 1900年ごろのフランスの画家
  • アカデミック画家(印象派とは逆)
  • 33歳没

考察

「鏡のルノワール」が召喚する獣にしては、元ネタの人物との関連は一切無いので非常に不自然です。

※ ルノワールはフランスの画家「ピエール・オーギュスト・ルノワール」が元ネタ

考慮できそうな説について、それぞれ挙げていきます。

印象派 vs アカデミック派

ベルナストはアカデミック学派の画家で、ルノワールは印象派の画家です。

クレールオブスキュールの舞台は1900年ごろのフランスを舞台にしており、この時代は芸術が大いに発展し、従来までのアカデミック美術(整えた現実を描く)から、新たな美術(印象派とか)が生まれようとしている最中の時代でした。

ちなみに、印象派は「感じたものをそのまま描く」美術様式とのことです。

アカデミック/印象派の対比としてベルナストが選ばれたという説です。

ただ、ベルナスト自身はルノワールと全く関わりがありませんし、(日本語版のページがない程度には)アカデミック美術の代表として選ばれるほどには有名でないので、選定された理由としては不十分と考えます。

没年が33歳

ベルナストが選定される理由を潰していくとこれ以外思い当たらないです。

「33歳(あるいは26歳)で1900年ごろに死亡したパリの画家」を調べたところ、彼以外に該当しません。

※ 作中の墓標ではヴェルソが26歳で死亡した事になっている

おそらくこれです。

黒い獣が「ベルナスト」なのは”33″だから(?)

ゲーム側的にはマスクデータなのでどんな名前だろうがそれほど重要ではない点、このゲームが骨の髄まで「33」である点を考慮すると、落とし所としては“33という数字に関連する画家だから”が最も納得の行く答えになるかと思います。

ストーリー考察的にはそれほど進歩はないですが、印象派の画家「ベルナスト」が登場したという点が今後、なにかの説を補強する材料になるかもしれません。

ルネはもともと動物を使役するキャラクターだった

コンセプトアート等から、ルネはもともと動物を召喚して戦うキャラクターであった事が示唆されています。

Bernastは、ルネ用に作られたモデルの再利用なのかもしれません。

初期コンセプト ルネ ライオン 召喚 エクスペディション Clair Obscur: Expedition 33 クレールオブスキュール:エクスペディション33 なんとか33
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この記事を書いた人

勝つため、より上手くなるための研究が好きなゲーマーです。
対戦、非対戦、シューター、MMO、ソーシャルゲーム等ジャンルを選ばずその時面白いと思ったゲームをガッツリとプレイし、攻略情報を発信しています。

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過去、いくつかの対戦ゲームタイトルで競技シーンにいたことがあります。
直近3年ぐらいの実績:
GUNDAM EVOLUTION:GGGP2023 優勝
NARAKA:BLADEPOINT:Morus Cup(トリオ部門) 3位

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